キース・ジャレット 『レイディアンス』 Keith Jarrett “Radiance” 199


キース・ジャレット、2002年のソロコンサート。大阪と東京の録音で、「Radiance」とは「燦然とした輝き」という意味。キースのソロピアノの歴史は1970年代までさかのぼれますが、これまでの30分以上にもわたる長大な演奏に対し、本作は2005年『The Carnegie Hall Concert』、2008年『Testament』へと継承される比較的短い分数での演奏をつないでいくスタイルをとっています。その時のひらめきをそのままダイレクトに(音楽的構成の制約を受けずに)演奏できるのでしょう。聴衆を前にピアノ一台だけでのぞむ完全即興のソロピアノという表現形式。この躍動感あふれる音楽は、キースの言葉によると(喜怒哀楽といった感情の背後にある)「透明な感情」のエネルギーから生まれるといいます。ちなみにキースのうなり声は感情的なものではなく、彼を通してあふれ出てくる音楽が強烈だからでてしまうのだそうです。(「インナービューズ キース・ジャレット」山下邦彦/ティモシー・ヒル編・訳より)キースの言う「透明な感情」とはおそらく潜在意識のことではないかと。自我や意識の深層にある潜在意識(フロイトのいう無意識・エス)にチャネリングし、生命の根源から吹き出してくるものを演奏しているのではないでしょうか。ジャズとは、あるいは音楽とは原理的にそのようなものかもれませんが、キースは独自のスタイルで自覚的にこれを行っているように思います。このアルバムは現代音楽のような響きと静謐な雰囲気があり、特に [Disc1] #6 “Part 6”、#8 “Part 8”、[Disc2] #4 “Part 13”、#6 “Part 15”、#7 “Part 16” では耽美的なメロディが聴けるので今世紀のソロ作品の中でも一番のお気に入り。この3枚だと、親しみやすいのは “My Song”も 含む『The Carnegie~』で、トータルな完成度としては『Testament』でしょうか。

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Keith Jarrett Solo 2005

Kieth Jarrett Solo 2005


「Everybody Cough, Now!」(皆さん、咳《せき》は今して!)――集中力を欠いた日本の聴衆へ向かって、演奏を中断したキース・ジャレットが訴える。2005年10月14日、東京芸術劇場大ホールでのソロコンサート。客席から演奏直後の余韻を打ち消すような拍手、咳など(携帯も鳴ってたかもしれない)、静寂を保てない聴衆に対し、キースは苛立ち、結局2度に渡って演奏を中断する場面がありました。終始落ち着かない観客とは裏腹に、キースの演奏は、時折自然と浮き上がるように中腰で立ち上がったり、身体を左右にゆすったり、足を踏み鳴らし、ピアノ弦と共鳴するようなうなり声を発しながら、全身から音を搾り出すような圧倒的な演奏でした。オペラグラスを覗いて見ると、演奏中サングラスの奥の目は閉じられたまま。自分の内面に没頭するかのようでした。即興で2時間に渡るたった一人の演奏は「Very Hard」なものでキースの強靭な集中力と完璧な素晴らしさに対して、ホール内のそわそわした空気が残念で、わだかまりを残すコンサートとなってしまいました。

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