マイルス・デイビス 名盤 ディスコグラフィー 1 – 初期 – クールジャズからハードバップへ

マイルス・デイビスは1926年5月26日、イリノイ州アルトンに生まれる。父は歯科医、母は音楽教師という裕福な家庭に育ち、13歳の誕生日に父親から贈られたトランペットにのめり込む。16歳で結婚。セントルイス近辺のクラブでステージに立つようになり、ニューヨークのジュリアード音楽院に入学。しかし1年ほどで退学し、チャーリー・パーカー・クインテットのメンバーとして活動を開始する。

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マイルス・デイビス 名盤 ディスコグラフィー 2 – プレスティッジ時代 – ジャズ史に残る2つのセッション

1954年12月24日のクリスマスイブ、ピアニストのセロニアス・モンクの極めて個性的な演奏にどうもしっくりこないと感じたマイルスは、トランペット ソロのバックでピアノを弾かないように注文。それに腹を立てたモンクはそのソロが終わっても演奏しなかった……と伝えられるのがいわゆる「喧嘩セッション」である。この頃からマイルスは、自己のジャズを実現するため強力なリーダーシップをとるようになっていった。その理想をかなえるため、個人レーベルだったプレスティッジでは飽き足らなくなり、大掛かりなプロモーションができる大手レコード会社のコロンビアと契約。しかし、まだプレスティッジでの数枚のアルバム契約が残っていた。それを一気に解消するため、1956年5月と10月の2日間で計25曲を大量レコーディング。これが「マラソン・セッション」である。ちなみに『Round About Midnight』の発売を優先させるため、コロンビアの要請で年1枚ずつ4年に渡って「ing 4部作」は発売された。
※ページではレーベルを「Sony」と表記していますが、これは現在では版権が「コロンビア」から移っているためです。

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マイルス・デイビス 名盤 ディスコグラフィー 3 – 第1黄金クインテット/セクステット時代 –

コロンビアに移籍したマイルス・デイビスは、キャノンボール・アダレイ(as)、ジョン・コルトレーン(ts) 、ビル・エバンス(p)、ウィントン・ケリー(p)、ポール・チェンバース(b)、フィリー・ジョー・ジョーンズ(ds) など選りすぐりのメンバーを集め、黄金時代を迎える。そして1959年『Kind of Blue』を制作。モダンジャズ史上に金字塔を打ちたてる。

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マイルス・デイビス 名盤 ディスコグラフィー 4 – ギル・エバンスとのコラボレーション期 –

黄金メンバーのコンボでのモードジャズの追求の一方で、クールジャズ時代に親交のあったアレンジャーのギル・エバンスとコラボレーションし、シンフォニックなジャズに取り組む。

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マイルス・デイビス 名盤 ディスコグラフィー 5 – 第2黄金クインテット時代 –

飽くなき進化を続けるマイルス・デイビスは、ハービー・ハンコック(p)、ウェイン・ショーター(ts)、ロン・カーター(b)、トニー・ウィリアムス(ds) を擁し、第2黄金時代を迎える。彼らの演奏は50年代のハードバップに対して新主流派(ニューメインストリーム)と呼ばれる。

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