マイルス・デイビス 名盤 ディスコグラフィー 6 – エレクトリック・マイルス前期 –

音楽シーンの中で急速にその勢力を拡大していくロック。それに対抗するように、マイルスは自身の音楽を電化させた。「お望みなら世界最高のロックバンドもつくれる」と豪語し、精力的にクロスオーバーなマイルス・ミュージックを創造する。そんな彼も、1975年には達成感と虚無感を感じ、引退。病気療養に専念する。

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マイルス・デイビス 名盤 ディスコグラフィー 7 – エレクトリック・マイルス後期 –

80年にマイルスは再び音楽シーンへ復帰する。コンテンポラリーなポピュラーミュージックなども貪欲に吸収し、マイルスミュージックを時代と平行に、あるいは追い越して、進化させる。

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『マイルス・デイヴィス自伝』 マイルス・デイヴィス/クインシー・トループ著 中山康樹訳 シンコーミュージック 2015年


「帝王」と呼ばれた天才トランペッターのサクセスストーリー。沢山の登場人物がいながら、そのほとんどがお馴染みの有名ミュージシャン、今となっては名盤とされているレコード制作時の舞台裏、よく知られたエピソードの真実など、ジャズファンなら夢中になって読める「ビューティフル」で「ヒップ」な本です。

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ビル・エヴァンス 名盤 ディスコグラフィー 1 – エヴァンス=ラファロ=モチアン 三位一体トリオ –

1950年代初め、ビル・エヴァンスはハービー・フィールズのバンドに加わってプロとしての経歴をスタートさせる。ジョージ・ラッセルやトニー・スコットのバンドを経て、1956年に初リーダー作を吹き込む。しかし、まだビルの個性は確立されていない。1958年から翌年にかけてマイルス・デイビスのバンドに参加。ここでモード奏法を習得。そして、1959年にスコット・ラファロ(b)、ポール・モチアン(ds) でトリオを結成する。3人のメンバーが対等に演奏する三位一体のスタイルは、インタープレイ(互いの演奏を呼応させるように展開される演奏)とも呼ばれ画期的なものだった。のちのジャズのフォーマットに多大なる影響を与える。 しかし、一躍脚光をあびたこのトリオは、わずか4枚のアルバムを残し、スコット・ラファロの急死という形で幕引きとなってしまう。

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ビル・エヴァンス 名盤 ディスコグラフィー 2 – 1960年代 ラファロの死をのり越えて –

1961年、ヴィレッジ・ヴァンガードでのライブから数日後に自動車事故でスコット・ラファロを失うと、ビル・エヴァンスはメンバーチェンジをめまぐるしく繰り返す。しかし、それぞれの個性とのインタープレイがバリエーションに富んだ多くの名盤を生むことになる。

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