マイルス・デイビス 名盤 ディスコグラフィー 1 – 初期 – クールジャズからハードバップへ


マイルス・デイビスは1926年5月26日、イリノイ州アルトンに生まれる。父は歯科医、母は音楽教師という裕福な家庭に育ち、13歳の誕生日に父親から贈られたトランペットにのめり込む。16歳で結婚。セントルイス近辺のクラブでステージに立つようになり、ニューヨークのジュリアード音楽院に入学。しかし1年ほどで退学し、チャーリー・パーカー・クインテットのメンバーとして活動を開始する。

1948年に人気クラブのロイヤル・ルーストから誘いを受けたマイルスは9重奏団を結成。ここではホットなビバップに対抗しクールな演奏を追及する。これが後のウエストコースト ジャズに多大な影響を与えることになる。1951年には、一転してハードバップを演奏するようになり、自己のオールスターズで「バードランド」に出演。しかし、この頃にはすでに麻薬に溺れるようになっていた。この最悪な状況に手を差し伸べたのはブルーノートのプロデューサー、アルフレッド・ライオン。彼は定期的にマイルスに録音をさせる。この時の恩が後に自身が契約しているレコード会社は別であることから、リーダーをキャノンボール名義にして録音されたブルーノートの名盤『Somethin’ Else』を生むことになる。1953年、ついにマイルスも改心し父親の農園内のゲストハウスに1週間こもり、麻薬を克服した。


【1950】 Birth of The Cool (Capitol)
「クールジャズ」の誕生、後のウエストコースト ジャズに影響を与える

Birdland 1951
【1951】 Birdland 1951 (Blue Note)


【1952, 53】 Miles Davis Vol.1 (Blue Note)
オールスターズによる演奏


【1952, 53】 Miles Davis Vol.2 (Blue Note)