ビル・エヴァンス 名盤 ディスコグラフィー 1 – エヴァンス=ラファロ=モチアン 三位一体トリオ –

1950年代初め、ビル・エヴァンスはハービー・フィールズのバンドに加わってプロとしての経歴をスタートさせる。ジョージ・ラッセルやトニー・スコットのバンドを経て、1956年に初リーダー作を吹き込む。しかし、まだビルの個性は確立されていない。1958年から翌年にかけてマイルス・デイビスのバンドに参加。ここでモード奏法を習得。そして、1959年にスコット・ラファロ(b)、ポール・モチアン(ds) でトリオを結成する。3人のメンバーが対等に演奏する三位一体のスタイルは、インタープレイ(互いの演奏を呼応させるように展開される演奏)とも呼ばれ画期的なものだった。のちのジャズのフォーマットに多大なる影響を与える。 しかし、一躍脚光をあびたこのトリオは、わずか4枚のアルバムを残し、スコット・ラファロの急死という形で幕引きとなってしまう。

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ビル・エヴァンス 名盤 ディスコグラフィー 2 – 1960年代 ラファロの死をのり越えて –

1961年、ヴィレッジ・ヴァンガードでのライブから数日後に自動車事故でスコット・ラファロを失うと、ビル・エヴァンスはメンバーチェンジをめまぐるしく繰り返す。しかし、それぞれの個性とのインタープレイがバリエーションに富んだ多くの名盤を生むことになる。

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ビル・エヴァンス 名盤 ディスコグラフィー 3 – 1970年代 円熟期 –


【1970】 Montreaux II (CBS)
モントルージャズフェスティバル第2集

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ビル・エヴァンス 名盤 ディスコグラフィー 4 – エヴァンス=ジョンソン=ラバーバラ 最期に到達した理想のトリオ –

1980年9月15日、ビル・エヴァンスは入院先のニューヨークの病院で息を引き取った。死因は肝硬変に伴う肺炎・出血性潰瘍。享年51歳。彼は死の数日前までステージでピアノを弾き続けた。亡くなる8日前のインタビューで、マーク・ジョンソン(b)、ジョー・ラバーバラ(ds)とのトリオについて「最初のトリオ(ラファロ=モチアン)と肩を並べる、いやそれ以上かもしれない」と語っている。自身が考える理想のトリオを実現した矢先、病に侵され、それでも弾き続けたビル・エヴァンス。その最期に膨れ上がった指先でピアノへ込めた想いとは何だったのだろう。

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『ビル・エヴァンス―ジャズ・ピアニストの肖像』 ピーター・ペッティンガー著 相川京子訳 水声社 1999年

ビル・エヴァンス 語録・名言

どんなことでも成功する人には共通点がある。はじめに現実的な視点でものが見れること、問題が大きいことを知っていること、一段一段上って行かなくてはいけないことを知っていること、そして、この一段ごとに理解して行く行程を楽しめること。

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